大藏教義(おおくら・のりよし) 昭和56(1981)年生まれ。二世大藏吉次郎の長男。祖父である第二十四世宗家・故大藏彌右衛門および父に師事。大蔵流吉次郎狂言会同人、公益社団法人能楽協会東京支部会員。四歳で『業平餅』の稚児役で初舞台を踏み、以来、各能楽堂の舞台にて狂言方を務めながら全国各地での学校公演、「狂言LABO」などの自主企画を通じて狂言の普及に努めている。能楽四役で構成されるユニット「能楽【談】ディズム」のメンバーとしても活動中。
「狂言」と聞いてもピンとこない。
そんな方も少なくないかもしれません。
教科書で読んだかも? むずかしそう。
そもそも狂言って何?
そんな狂言未体験者からのギモンを
大蔵流狂言師・大藏教義さんにぶつけてみました。
これさえ読めば狂言はもうコワくない!
「夜遊狂言」の観劇前に必読のインタビューです。
#1中世の
ショートコントです。
「狂言」という言葉は聞いたことがあるんですけど、どういったものなんですか? なんとなく敷居が高そうですけど…。
よく言われます(笑) たしかに「古典芸能」と聞くと、なんだか難しそう…と思ってしまいますよね。でも、狂言は基本的に喜劇=コメディなので、「笑い」がテーマです。けっして難解なものではありません。
コメディなんですか?
そう。だいたいは2〜3人の役者が登場して、セリフをしゃべり、こっけいなドタバタ劇を演じます。まさに現代のショートコントと同じですね。
セリフ劇なんですね。
ちょっと古めかしい言葉も使いますが、内容はなんとなく聞きとれると思います。しかも、おっちょこちょいなキャラクターが多いので、思わず吹き出したり、ツッコミを入れたくなったり、はじめてでも楽しめるはずですよ。
そうなんですね。だいぶイメージと違います。
「中世のドリフ」なんて説明することもあります。思わず呆れるようなあつかましいキャラクターが出てきたり、同じギャグを何度もくり返したり、現代の笑いとも地続きなところがあるんです。
コントと聞くと親しみがわきます。ところで、そもそも狂言って、いつ頃にできた芸能なんですか?
狂言のルーツは奈良時代に唐から渡ってきた「散楽」だと言われています。散楽というのは雑多な芸の総称なんですが、そのなかに「物真似芸」があったんですね。
え、あのモノマネですか?
ええ。だれかのマネをして笑わせる。そんな大昔からモノマネ芸が流行っていたんですね。そこにストーリー性をもたせ、お芝居にしていったのが狂言なんです。
なるほど。先ほどコメディとおっしゃっていましたが、その原点はモノマネなんですね。
モノマネから滑稽劇に、そして喜劇へと発展していきます。狂言で描かれるのは、さまざまな人間の生き方。それも庶民が主人公になることが多いんです。
昔の“普通の人たち”が主人公なんですね。
その代表格が「太郎冠者」です。
あ、名前だけは聞いたことがあります。
国語の教科書に狂言の『附子(ぶす)』が採り上げられているので、憶えていらっしゃる方も多いかもしれません。
太郎冠者ってどういう人なんですか?
「太郎」というのは1番目のことですね。2番目は「次郎」。「冠者」は成人男性のことです。立場としては主人に仕えている奉公人となります。
なるほど、「1番目の奉公人」という意味なんですね。
そうです。狂言にもっとも多く登場するキャラクターがこの太郎冠者です。おっちょこちょいで怠け者、失敗をごまかすために嘘をついたりもしますが、どこか憎めない愛嬌があります。頼りなさげにみえて、ここぞというときには機転を利かせたりと、いろんな演目で大活躍します。
なるほど、どこか道化っぽいというか…。
そうですね。大失敗をしでかして窮地に陥ることもあるのですが、アイデアと行動力で強引に乗り越えてしまう。そんな庶民のたくましさも兼ねそなえています。
人間らしいキャラですね。
はい。今回の「夜遊狂言」でも『附子』を上演するので、ぜひ太郎冠者の無双っぷりを楽しんでいただければと思います。
#2ぜんぶセリフで
説明してくれます。
とはいえ、やっぱりはじめて狂言を見るとなると、本当にわかるのかな? と不安になります。
大丈夫。百聞は一見に如かず、ですよ! …と言いたいところですが、そうですよね。では舞台の進み方に沿って説明してみましょう。
はい、お願いします。
舞台に出てきた登場人物が、まず最初にするのはなんだと思いますか?
…いや、ぜんぜん分かりません。
「自己紹介」なんです。
え?
「これはこのあたりに住まい致す者でござる」のような名乗りから始まります。私はこの近所に住んでいる者ですよ、と自己紹介してくれる。
なるほど。
それから、「今日はこれから○○の用事があって、○○しようと思います」など、これから何をしようとするのかを、あらかじめ教えてくれます。
ずいぶん親切なお芝居なんですね。
でしょう?(笑) でも、それだけじゃないんです。さらに「これから都(京都)に行こうと思う」とか「近所の屋敷に盗みに忍び込もう」など、自分の行動についても予告してくれます。
へえ、まさに有言実行ですね。
そのとおり。だからぜんぜん難しくない。
劇中で使われる言葉は難しくないのですか?
江戸時代から伝わる台本をそのまま使っています。なので、聞きなれない言葉も出てきますが、そこはスルーしてください。
無視していいんですか!?
はい。そこでつっかかってしまうと、お話の筋まで分からなくなってしまうので。なんとなくニュアンスさえつかめていれば、複雑なドラマではないので全体を見失うことにはなりません。「分からない言葉はスルーしよう」。これがはじめての狂言を楽しむコツです。
だいぶ気が楽になってきました。
もちろん、後から調べて理解を深めていただいても構いませんよ。狂言にはその時代の文化や社会背景も映し出されていますから、それを分かった上でもう一度観ると、また違った味わいが楽しめるはずです。
分かりました。
#3タイはなんといって
鳴くでしょうか?
はじめて狂言を観て驚くのは、やはり喜怒哀楽の表現でしょうね。
どんな感じなんでしょう?
いちいち大げさです。笑うときは、びっくりするくらいの大声で「はーーーっはっはっはっは!」。泣くときも「エーーーーッヘッヘッヘッヘ…」と力強く泣きます。
す、すごい…。ずいぶんとダイナミックですね。
狂言は「型」のある古典芸能なので、喜怒哀楽も古くから伝わる誇張した表現になっています。これは時代を越えて分かりやすい要素のひとつだと思います。
ちょっとマネしたくなりました。
お、いいですね。それこそ狂言です。こんど「狂言の笑い方」をレクチャーしてあげますよ(笑)
ほかにも狂言ならではの表現ってあるんですか?
そうですね、擬声語や擬音も面白いですよ。
擬声語ですか。
では、ここでクイズです。狂言では犬はなんと鳴くでしょう?
え、いきなり? …うーん、やっぱり「ワンワン」ですか?
そう思いますよね。でも違うんです、狂言で犬は「ビョ〜!、ビョ、ビョ、ビョ…」と鳴くんです。
それが犬??
犬の遠吠えをあらわしていると言われています。では、猿はなんと鳴くと思いますか?
さ、サルですか? …「キャッ、キャッ」とか?
「キャア〜!、キャア、キャア、キャア…」。
あ、猿は今の感覚と近いんだ。
そうなんです。では、最後の問題。「鯛」はなんと鳴くでしょう?
タイ? 魚の鯛ですか?
そう。
え、ええ?? 鯛って鳴きます? 魚は鳴いたりしないですよね?
ふふふ。その答えは…『盆山』という演目を観てみてください。
…教えてくれないんだ…。そんな鳴きマネをする演目があるんですか?
はい。フォレリウムの「狂言LABO」ワークショップでは、この『盆山』の実演もあります。はたして鯛はなんと鳴くのか? ぜひこちらに参加してたしかめてみてください。
わかりました。タイの鳴き声…気になりすぎる…。
#4おかしかったら、
笑ってください。
あのう、もうひとつ初歩的な質問なんですが…。
はい、なんでしょう。
狂言がコメディだということは分かったのですが、上演中に笑ってもいいのでしょうか?
もちろんです。そこはコントや落語といっしょです。ウケたら遠慮なく笑ってください。観客の笑い声が聴こえてこないと、舞台の上で演じているわれわれも寂しいので(笑)
よかった、安心しました。
みなさんが面白い、と思った瞬間、ご自身の感性で楽しんでください。歩く姿や、しゃべり方、役者の表情など、どんなポイントでも構いませんので、おかしかったらどんどん笑ってください。
今回の「夜遊狂言」では『附子』が上演されるんですよね。
はい。狂言の中でも比較的ポピュラーな演目ですね。
うっすらと憶えています。
太郎冠者と次郎冠者のコンビ、それから主人が出てくるお話ですね。主人は「あの桶には“附子”という毒が入っているからけっして近づくな」と命じて出かけるのですが、二人の召使いは桶の中身がじつは砂糖だと知ってぜんぶ食べてしまう。
あ、そんなお話でしたね。
当然、主人が帰ってきたらこっぴどく叱られてしまう。そこで二人はなんとか言い訳を考えようとして…というストーリーです。
何かを壊すんじゃなかったでしたっけ?
そうです。なぜか主人が大事にしていた掛け軸や茶碗をめちゃくちゃに壊しちゃう。そこに主人が帰ってきて、その惨状にびっくりして二人を問い詰めると——。
ち、ちょっと待ってください! そのあとは舞台で観たいです。
あ、ごめんなさい、全部話しちゃうところでした(笑) では、続きはぜひ「夜遊狂言」でご覧ください。
楽しみにしています!
#5想像すると、
さらに楽しめます。
狂言はふだん能舞台で演じられるんですよね?
はい。全国各地にある能舞台で演じられています。ほかには神社などにしつらえられた舞台や、今回のような仮設の舞台などでも上演されることがありますね。
能舞台ってすごくシンプルですよね。
そうですね。ざっくりと言うと橋懸かりと舞台で構成されていて、舞台の上には四本の柱があります。この中ですべての演目が演じられます。
現代劇やオペラでは舞台の上にセットがありますが、狂言にはないんですか?
背景や建屋のようなセットや大道具は使いません。その場面が家の中なのか、山の中なのか、海辺なのか、それらは全部演者が説明してくれます。
それもセリフなんですね。
そうです。その言葉をヒントにして自由に世界を想像してみてください。人混みで賑わう京都や立派なお屋敷、けわしい山の中など、そこにないはずの景色が、ぼんやりと浮かび上がってくるはずです。
観客の想像力に委ねられているんですね。ほかにも見どころはありますか?
「装束」にもご注目いただきたですね。
身に着けている衣装のことですか?
はい。狂言装束は絹や麻でつくられていて、大胆な紋様や柄がほどこされています。ファッションの世界ではおなじみのモノグラムですね。もちろん、どこかのブランドの真似をしたわけじゃなく、日本古来の模様です。
けっこうモダンなデザインなんですね。
とくに太郎冠者や次郎冠者が身に着けている肩衣(かたぎぬ)には、背中一面に大胆な模様が配されています。後ろを向いたときに注意して見ていると面白いと思いますよ。装束に施された意匠、色、質感もまた、狂言観賞のポイントのひとつになっています。
なるほど。目を凝らして見てみます!
#6狂言は、
人にやさしい。
狂言について、だいぶ分かってきたような気がします。
ぜひ実際にご覧になってください。やはり生の舞台で観るのが、いちばんの近道なので。
分かりました。最後になりますが、狂言の魅力とはなんでしょうか?
狂言にはさまざまな人たち、人だけじゃなく鬼やいろんな精も登場します。
精?
「蚊」の精や、「蟹」の精が出てくる演目もあるんですよ。
か、蚊ですか?
そうです。あの蚊です。『蚊相撲』という演目に登場するのですが、ひと目見たら思わず吹き出してしまうような格好をしています。
それは、興味をひかれますね…。
そんなふうに、じつに多彩なキャラクターたちが活躍します。威厳たっぷりな大名がじつは物覚えが悪かったり、ピュアで心やさしい鬼が女性にころっとだまされたり。ときには風刺も交えながら、今の私たちと変わらない人間の弱さやずるさ、嘘や機転、真心をいろんな登場人物を通じて描き出していくのが狂言なんです。
だいぶ身近なものに思えてきました。
ふだんの生活において、失敗することや人を騙すこと、嫉妬やごまかしって、けっして褒められることではないですよね。ところが狂言では、そういった人間の負の部分にフォーカスして笑いに変えていきます。
ネガティブなことを「笑い」に転化していく。
失敗したっていいじゃないか。人間だもの、嫉妬や怠惰な心はだれもが持ってるよね。というふうに、笑いで人間を肯定してくれる。いわば「人間讃歌のお芝居」。それが狂言の本質だと私は思っています。
笑いを通じた人間讃歌であると。
はい。だから狂言は人にやさしい。自分や他人の中にある弱さやずるさを、笑いを通じて受け入れることで、日々がちょっとだけ楽になる。狂言のおおらかな笑いの中には、どんな時代にも通じる人間愛が宿っていると感じています。
なるほど。狂言に込められた思いにふれたような気がします。今日はありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました。では後ほど、舞台でお会いしましょう。
撮影:国東薫 新宮夕海